2009年6月20日土曜日

【桜2009】 5.三渓園に行ってきた。 <後編>


(^x^)こんばんは。MANIERAです。
2月から始めた このblogで、今回の記事は丁度100番目になります。(使用画像容量75.6MB) \^^/
※ 20100118追記: 上の「2月から始めた~」は、引っ越す前のexciteブログでの話です。 

横浜市にある日本庭園、 三渓園(SankeiEn)で夜桜が見られるというので、行って来ました。
撮影日は4月5日です。






01
三渓園の中にも茶屋や売店はあるのですが、長蛇の列で、待っていられません。
受付で再入場券を発行してもらって、一旦、正門から外に出ます。






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塀の外からも桜が見えます。近所の人がうらやましいですね。






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門の外には、煎餅の店や、たこ焼き、鯛焼きの屋台がありました。






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たこ焼きも美味しそうでしたが...






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鯛焼き(a fish-shaped pancake stuffed with bean jam)を買いました。
ちょっと、皮の はみ出しが多くて、
見た目は良くないですが、粒餡で、とても美味しかったです。






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鯛焼きを食べていたら、毛並みの良い黒猫が登場。
「ニャーニャー(食べたい)」と、しきりに言うので、鯛焼きの皮を少しあげましたが
ちょっとしか食べなかったです。^^;

その後、カメラのストラップに、じゃれ始めたので、
しばらく猫と遊びました。^^






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いつの間にか日が暮れました。通常は17時で閉園ですが、
桜の時期だけは、21時まで延長されます。






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提灯に灯が点り、桜もライトアップされていますね。






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中に入ると、暗がりの中に人が沢山そぞろ歩いています。






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鶴翔閣(Kakusyokaku)の枝垂れ柳もライトアップ。
こちらは Mr.HARAが 最初に建てた住居です。
この日は、何かの作業をしていたので、中は見られませんでした。






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池に赤い橋、島、三重塔、桜が浮かび上がります。






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こちらにも桜が見えますね。
かわるがわる、三脚とカメラを持った人がやって来ます。






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対岸の桜が池に映ります。
三渓園全体で約300本の桜があるそうです。






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三重の塔と桜がライトアップされています。
桜の木の下では沢山の人が夜桜見物していました。






(^x^)おしまい。



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【解説】三渓園(SankeiEn)とは?

横浜市中区にある広さ17万5千平方メートル(5万3千坪)の日本庭園です。
生糸貿易で財を成した原 富太郎(Tomitarou HARA 1868-1939)の元の自邸です。
 ☆ 三渓(Sankei)は、原 富太郎の茶人としての号(pen name)です。
三渓(Sankei)の意味は「三つの谷」の意味だと思います。
(因みに、発音が同じですが、産経(Sankei)新聞とは無関係です。^^;)



園内の17棟の建物は、京都や鎌倉などから移築した古い建築物で、
現在では10棟が 国の重要文化財に指定されています。
HARAは、1906年に自邸の一部(現在の外苑(outer garden)部分)を無料で市民に公開、
1953年に横浜市に寄贈されました。



* * *



【20110326 追記】
2011年3月26日からの 「観桜の夕べ」(21時まで閉園を延長してライトアップ)は震災の影響で中止になりました。

催し物のご案内(三渓園)
 http://www.sankeien.or.jp/event/05.html





2009年6月19日金曜日

【桜2009】 4.三渓園に行ってきた。<前編>


(^x^)こんばんは。MANIERAです。

横浜市にある日本庭園、 三渓園(SankeiEn)で、夜桜が見られるというので、行って来ました。
撮影日は2009年4月5日です。








01
駅から無料バスで、三渓園の隣の本牧市民公園の「上海横浜友好園」付近に到着。
遠くの煙突は海沿いの石油精製所の設備だと思います。

☆ 「上海横浜友好園」は、上海市より横浜市へ寄贈されたものです。

☆ 3月28日-29日、4月4日-5日は、花見客の為に、
JR根岸Negishi駅から本牧市民公園まで
無料バスが15分おきに運行されました。







02
市民公園側の南門(正門とは反対側)から、三渓園に入ります。
入場料は500円でした。





03
内苑(inner garden)は、1953年まで一般に公開されていなかった部分です。
では門をくぐって入ってみましょう。






04
内苑(inner garden)の奥の方を登って行くと、木々の中に建物が散在しています。






05
こちらは重要文化財の臨春閣(Rinsyunkaku)です。
元々は、1623年、紀州徳川家の夏の別荘として、現在の和歌山県に建てられたものらしいです。







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内苑(inner garden)の奥の方は結構な高低差があり、階段の傍らには、
ごく小さな小川も流れていました。






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こちらは、1623年に作られた聴秋閣(Chosyukaku)です。
元々は江戸時代、三代将軍 徳川家光により、京都の二条場内に作られたそうです。
その後、江戸に移築され、さらに1922年にこちらに移築されて茶席に使われたようです。
国の重要文化財です。






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内苑(inner garden)から、広々とした外苑(outer garden)に出ました。
小さな山の上に三重塔が見えますね。







09
外苑(outer garden)に、大きな池:大池(Ooike)があります。
対岸には桜が咲き、池には鳥が泳いでいますね。






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池の岸には、高そうなカメラをセットした人が沢山いました。
どうやら、塔の夜景を撮影するための場所取りのようです。
では塔のある小さな山に登ってみましょう。






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池の中の島に東屋があって、座って池を眺める事が出来ます。






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傾斜がきつい階段を登り、振り返ると、かなりの高さですね。

小さく見える建物は、三重塔と同じ京都の燈明寺(Toumyou Ji)にあった建物です。
因みに写真に写っている木々は三渓園の敷地です。どれだけ広いのか。^^






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3重の塔に到着。
室町時代の1457年に京都に建てられた、燈明寺(Toumyou Ji)の塔を
1914年に移築したそうです。






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池のほとりの桜の下で、みんな のんびり過ごしていました...。






長くなったので、後編に続きます。
(^x^)続く。










【解説】三渓園(SankeiEn)とは?

横浜市中区にある広さ17.5平方メートル(5万3千坪)の日本庭園です。
生糸貿易で財を成した、原 富太郎(Tomitarou HARA 1868-1939)の元の自邸です。
 ☆ 三渓Sankeiは、原 富太郎の茶人としての号(pen name)です。
三渓(Sankei)の意味は「三つの谷」の意味だと思います。
(因みに、音が同じですが、産経(sankei)新聞とは無関係です。^^;)


園内の17棟の建物は、京都や鎌倉などから移築した古い建築物で、 
現在では10棟が国の重要文化財に指定されています。
HARAは、1906年に自邸の一部(現在の外苑Gaien部分)を無料で市民に公開、
1953年に横浜市に寄贈されました。